「うまくいくダビデ、うまくいかないサウル」サムエル記第一 18章25-30節(18:6-30) 2024年9月15日

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 8 фев 2025
  • 人々に愛され、サウルからも愛されたダビデだが、今日のところからサウルの迫害が始まる。
    きっかけは、人々の声だった。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」
    9,10節 その日以来、サウルはダビデに目をつけ、同時に災いの霊に悩まされるようになった。
    16章で、ダビデが油を注がれた時に、主の霊が激しく下った。その霊の力によって琴を奏でてサウルの災いの霊を追い出した。先週はキリストがみ霊によって悪霊共を追い出しているなら神の国が来ているという話だった。
    嫉妬に狂ったので悪霊に囚われたのか、悪霊に囚われたので嫉妬したのか議論はあるが、この嫉妬、御心からずれているということ、悪霊というのは同じ一つのこと。聖霊、神の御心に生きること、兄弟姉妹を認めるということは一つのこと。
    この時点のサウルに神様の働きをするという思いはない。後で見るが、ヨナタンはダビデが王となることを悟って、その神様の働きをしようとした。バプテスマのヨハネはイエス・キリストを悟って「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません」ヨハネ3:30と言った。
    サウルは神の御心に逆らい、ダビデを亡き者にしようとするが全てうまくいかない。
    11 サウルが災いの霊に囚われた、いつものようにダビデが琴を引く。サウルが槍を手に取り刺し殺そうとするがダビデは2度も身をかわした。神の守り。
    12 メンタルでも負けていた。サウルの心には恐れがあった。サウルに主の守りがなく、主がダビデと共におられることに気づいていた。
    13 サウルはダビデを自分のもとから離した。左遷したが、ダビデは行く先々でダビデは勝利を収めた。
    16 ダビデが先に立って行動したので、人々はダビデを愛した。
    17 自分の娘を与える約束を使って、ダビデをペリシテ人の手によって殺そうとした。
     さらに娘を与えるという約束を反故にして、ダビデに誠実を尽くさなかった。ダメージを与えた。実際23節を見ると、ダビデはこのことで本当にがっかりしていることがわかる。
    そんな中、下の娘ミカルがダビデを愛していることが分かり、また策略を巡らす。サウルは娘を利用するだけで、娘を幸せにしようという思いもない。
    ペリシテ人100人を倒すならミカルをやろう。→ダビデは200人を倒して帰ってきた。
    28-30 ダビデは多くの人に愛され、主が共におられ、その名声は高まり続けた。
    サウルはその立場を利用して策略を巡らすが、全てがうまくいかなかった。
    今度はダビデの立場で考えてみよう。
    サウルの僕だし若いし、自由にできない。サウルを倒すのではなく、サウルに仕える中で勝利した。槍から守られ、左遷されたらその地で大勝利を収め、王の娘を約束通り得た。人々に愛され、当時のミッションであったペリシテ人との戦いに勝利を収めた。困難な中、邪魔する人、迫害する人がいても守られ、ミッションが成し遂げられる。
    うまくいく、うまくいかないというのは教会の中で比較して、あの人はうまくいっているが、私はうまくいっていないという話ではない。そのように比較するのはサウルと同じ。サウルとダビデは同じミッションを行う同労者であった。神様はそれぞれに1タラント、2タラント、5タラントを与えてそれぞれを尊く用いられる。
    説教題の「うまくいく、うまくいかない」というのは、ヨハネの福音書12:19から取った。
    パリサイ人はイエス様の働きを封じ込めようとしたが何一つうまくいかなかった。その後、パリサイ人はイエス様を十字架で殺したが、そのことこそキリストのまことの勝利だった。ステパノは殺されたが、そのことによって福音はさらに広がり、迫害者パウロは最大の宣教師になった。
    神の国は止められない。主のミッションを行う人は、守られ、勝利する。私を通してなされる神のミッションとその力を発見しよう。

Комментарии •